村上春樹「職業としての小説家」、プロフェッショナルであるために
村上春樹のエッセイ、「職業としての小説家」を読んだ。
職業としての、という題名の通り、プロフェッショナルとして、どのようなことを考えているのか、どのような行動をしているのかが綴られている。
自分は、すべての作品を読んでます!というような村上春樹ファンではないけど(「海辺のカフカ」は好きだった)、村上春樹の誠実さが感じられる内容で、小説家という特殊な職業だけでなく、どんな職業に対しても参考になるものだった。
アラーキー(荒木経惟)が撮影した表紙の写真がカッコイイ。60歳を超えているとは思えない。
村上春樹「職業としての小説家」 目次
- 第一回 小説家は寛容な人種なのか
- 第二回 小説家になった頃
- 第三回 文学賞について
- 第四回 オリジナリティーについて
- 第五回 さて、何を書けばいいのか?
- 第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
- 第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
- 第八回 学校について
- 第九回 どんな人物を登場させようか?
- 第十回 誰のために書くのか?
- 第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
- 第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
※以下、引用部のページはハードカバー版
小説家とは何か
村上春樹は、小説を書くこと、また、小説家という人種をこう表現している。
小説を書くというのは、あまり頭の切れる人には向いた作業ではないようです。
P19極端な言い方をするなら、「小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である」と定義できるかもしれません。
P22
小説を書くのは、自分の意識にあるものを物語に置き換えて表現するという、ある種回りくどく、効率の悪い作業だ。確かに、言いたいことをそのままストレートに言うのではなく、あえて物語に変換して表現するというのは回りくどい作業だ。
これは小説に限らず、あらゆる芸術に当てはまることかも知れない。自分の気持ちを歌にしたり絵にしたりするのは、回りくどい。
でも、だからこそ、小説や歌や絵に心が動かされるのだと思う。わかりやすい、理解しやすいものではなく、意識の深いところにあるものと共鳴するから、小説や歌や絵で感動するのだと思う。宇多田ヒカルの「芸術とは何か」に対する答えと通ずるものがあって、面白かった。
- 関連記事: 宇多田ヒカルにとって芸術とは何か?
村上春樹に天啓が訪れた瞬間
村上春樹が小説を書こうと心に決めた瞬間の有名なエピソードが、詳しく、鮮明に描写されている。
1978年4月の神宮球場のデーゲームを観ていた時、一回裏にヤクルトのヒルトンが二塁打を打って客席からまばらな拍手が起こった瞬間、村上春樹はこう思ったのだという。
僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。
P42
そんなバカな、と思ってしまう。脈絡も根拠もなさすぎだろう、と思う。でも、きっと本当にそうだったんだろう。嘘をつくならもっとうまい嘘はいくらでも考えられる。
それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまったのです。デイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打ったその瞬間に。
P42
この啓示のようなこと(英語でepiphanyと表現している)は、誰にでも訪れるのだろうか。訪れたからといって成功するとは限らないけど、何か行動を起こすきっかけと言うのは案外、脈絡も根拠もないものなのかもしれない。
ちなみに、僕がブログでも書いてみようかなと決めたのはジョギングを走り終わっていい感じに疲れた瞬間だった。あれはepiphanyだったのだろうか。まだ人生の様相は特に変わってないけど。
あらゆる成功者にepiphanyは訪れる。しかし、epiphanyが訪れた者がみな成功するわけではないのかもね。
プロフェッショナルであるために
小説家とは、とか、epiphanyが訪れた、とか言われてもピンとこないけど、村上春樹の小説家という職業に対する考え方や習慣、行動はどんな職業に対しても当てはまるものだと思う。参考になったし、見習いたい。
オリジナリティーを出すためには引き算で考える
自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」作業が必要とされるみたいです。
P98
あれやこれやと手を広げるのではなく、削り落とした後に残った芯の部分こそが自分のオリジナリティーであり、自分自身そのものである。
まずは観察
小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう。
P110
当たり前すぎて逆に斬新に感じたアドバイス。そりゃそうだ。自分が生業とするものにはたくさん触れなければならない。
自分のルールを守り、規則性を生む
長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。
P141
芸術家っぽくないけど、これも大事。自分の型となる習慣を身につけると強い。イチローの朝カレー(古い?)やラグビーの五郎丸みたいなルーティーンも同じことだと思う。
常に全力を尽くす
「やるべきことはきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。
P157
やれることはやり尽くしたと自分で思えるかどうか。自信を持って「やり切った」といえる仕事をするのがプロというものだろう。なぜベストを尽くさないのか!
フィジカルな力とスピリチュアルな力のバランスを保つ
肉体をたゆまず前に進める努力をすることなく、意志だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的にほとんど不可能です。
P184
健康を維持することを軽視するな、というメッセージであるように感じた。精神論に逃げない、とも言えると思う。人生という長期戦を戦っていくためには、身体のメンテナンスを怠ってはならない。
常に目的意識を持つ
大事なのは「自分は何のために英語(あるいは特定の外国語)を学ぼうとしているのか」という目的意識です。それが曖昧だと、勉強はただの「苦役」になってしまいます。
P197
英語の小説を原文で読みたいという目的を持っていた自分(村上春樹)と、試験のために英語を勉強していた同級生を対比させた一節。
何をやるにしても目的意識を定めているのがプロフェッショナル。
まとめ
村上春樹のエッセイ、「職業としての小説家」を読んだ。小説家という特殊な職業だけでなく、どんな職業に対しても参考になる考え方や行動が満載だった。
下手な自己啓発書よりも役に立つと思う。ぜひ。
そのほか、余談
以下、本筋とは関係ないけど気になったところをメモ代わりに。
アゴタ・クリストフ
処女作である「風の歌を聴け」を書き始めるときに出だしを英語で書いてみた、というエピソードに交えて、アゴタ・クリストフの名前が出てきて驚いた(P46)。
アゴタ・クリストフは、「悪童日記」、「ふたりの証拠」、「第三の嘘」の三部作が有名なハンガリー出身の作家。
糸井重里がアゴタ・クリストフの作品に影響を受けて、MOTHER3の主人公の双子の名前(リュカとクラウス)を「悪童日記」から拝借したという話で興味を持って、昔、三部作を読んだ。もちろん翻訳版だけど、硬い文体が印象的だった。
亡命先のスイスで、母語ではないフランス語で書かれたことがその特徴的な文体の原因だと村上春樹は書いている。そう言われれば、なるほどと納得させられる。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
実を言うと僕は、沙羅がそう言うまで、多崎つくるがその四人に会いに行くことになるなんて、考えもしませんでした。
P233
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は当初、短編として書くつもりだったのが、沙羅という登場人物の、作者(村上春樹)自身も思いもよらぬ言葉によって話が広がり、長編になったとのこと。
キャラクターが自ら動き出す、というのは漫画家とかもよく言うことだけど、具体的に作家自身が説明しているのは面白かった。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はKindle版を買ったのに読んでなかった。若干ネタバレをくらった感もあるけど、読んでみよう。