キングコング西野の「ディズニーを倒す」という目標はなぜイマイチなのか
キングコング・西野亮廣は才能に溢れた男だと思うが、「ディズニーを倒す」という目標はイマイチだ。
キングコング・西野亮廣という男について
誤解のないように最初に書いておくと、私は西野のことが嫌いではない。
『ゴッドタン』で劇団ひとりと服をビリビリに破りあう西野や、東野に追い詰められる西野は大好きだ。
絵本作家あるいはアーティストとしての西野については好きでも嫌いでもない。特に応援しているわけではないが、「芸人のくせに絵本なんて描きやがって」みたいなことは思わないし、やりたいことをやればいいと思う。
最近は何でもファンとアンチに分けられがちだが、どんな人や物事についても一番多いのはファンでもアンチでもなく関心がない人だ。
正しい目標設定と間違った目標設定
西野の「ディズニーを倒す」という目標について考える前に一般的な話をしたい。
正しい目標設定
正しい目標の条件は、その目標を達成したときの姿が明確に想像できることだ。
例えば、ジョン・F・ケネディ大統領の「我々は月へ行くことを選択する(We choose to go to the Moon.)」という演説。
いろんなところで語り尽くされているが、この演説は目標設定として素晴らしい。
老若男女、誰が聞いても月面に立つ宇宙飛行士の姿を思い浮かべるだろう。
目標達成時の姿をビジュアルで示すのが難しい場合は数値を使うのが常套手段だ。「次の大会ではベスト8に入る」という目標は明確で誰が聞いても目指している姿が分かる。
間違った目標設定
一方、それを達成したときの姿が明確に想像できない曖昧な目標はよろしくない。
例えば、「次の大会では精一杯がんばる」という目標。
精一杯がんばっているかどうかの判断は人それぞれ。同じ姿を見ても、「精一杯がんばってるな」と感じる人もいれば、「まだやれるよ」と感じる人もいるだろう。
「ディズニーを倒す」の意味
さて、「ディズニーを倒す」という西野の目標。
文字通り受け止めると非常に曖昧でイマイチな目標に思える。
まず「ディズニー」が何を指すのか。
- ウォルト・ディズニー(個人)
- ウォルト・ディズニー・カンパニー(企業)
- ディズニーランド(テーマパーク)
人によって「ディズニー」で思い浮かべる対象はそれぞれ違う。
そして「倒す」とはどういう意味なのか。
- ウォルト・ディズニーよりも多くのアカデミー賞を獲る
- ウォルト・ディズニー・カンパニーの時価総額や売上高、利益を超える会社を創業する
- 東京ディズニーリゾートの年間入場者数を超えるテーマパークを建設・運営する
何らかの数値で超えるのか、それともまったく別の評価軸を考えるか。これも人によって様々だろう。
極端な話、「ディズニーの映画より『えんとつ町のプペル』のほうがおもしろい」という人がひとりでもいれば、その人の中では西野はディズニーを倒したと言えなくもない。他の人がそれを認めるかどうかは別として。
西野は自身のブログにこう綴っている。
昔、「ディズニーを倒す」と言った時に、国民全員から笑われてメチャクチャ悔しかった。
自分がバカにされたのが悔しかったのではなくて、皆が「ディズニーは神の位置にいるので戦う相手ではなくて、僕たちは、その下で残されたパイを取り合おうよ」となっていることが悔しかった。
民衆の歌 | 西野亮廣ブログ Powered by Ameba
国民全員が笑ったかどうかは分からないが、「ディズニーは戦う相手ではない」と思っている人よりも、そもそも西野が言う「ディズニーを倒す」がどういう意味なのか分からない人のほうが多数だったのではないか。
有言実行の条件
正しい目標設定と間違った目標設定について書いたが、本人が心の中で思っている分には曖昧な目標でも構わない。しかし、広く公言するのであれば明確な目標を設定するべきだ。
西野つながりでサッカー日本代表の西野朗監督を見てみよう。西野監督はロシアワールドカップの目標をこう語っている。
西野朗監督(63)は、本大会の目標について聞かれ「今、日本代表らしいサッカーをやりたいという、その大きな目標を強く持っています。具体的な数字と言えば1試合1試合、数字を取ってグループステージは抜けたい。日本のサッカーを、ある程度、披露できるんじゃないかと思っています」と1次リーグ突破を掲げた。
西野監督「数字を取る」W杯目標は1次リーグ突破 - 日本代表 : 日刊スポーツ
「日本代表らしいサッカーをやりたい」というのが大きな目標で、具体的な目標は「グループステージは抜けたい」ということだそうだ。
「グループステージを抜ける」というのは明確な目標であり、実際にグループステージを突破したら有言実行だと賞賛されるだろう。
もしも「日本代表らしいサッカーをやりたい」ということだけを語っていたら目標としては良くない。「結果はともかく日本らしいサッカーができた!有言実行!」と言ってもきっと誰も納得しない。
曖昧な目標を公言した場合、本人(と取り巻き)がそれを達成したと思ってもまわりが認めるとは限らない、ということだ。
既存の価値の代替と新たな価値の創造
曖昧な目標を公言すると本来得られるべき評価まで失ってしまう可能性もある。
「ディズニーの倒し方」で検索してヒットした記事を読んでいたら気になる記述があった。
「ディズニーの倒し方」、とりわけ「ディズニーランドの倒し方」はちょっと見えてきた気がします。
(中略)
これからのエンターテインメントに重要なのは「伸び率をデザインする」ことだと思います。だから、「ディズニーランドに行く」よりも「ディズニーランドをつくる」ほうが楽しいんじゃないかと。
西野亮廣「ディズニーの倒し方が見えてきた」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
西野がテレビ番組『にけつッ!!』にゲストとして登場したときも同じような「伸び率」の話をしていた記憶がある。おそらく西野の中で「ディズニーを倒す」というのはこういう体験型・参加型のエンターテインメントをつくるという方向の話も含まれているのだろう。
この「伸び率をデザインする」という方向性と「ディズニーを倒す」という表現がどうもズレているように感じる。
既存の価値の代替
「自動車(あるいはヘンリー・フォード)が馬車を倒した」というのは多くの人が受け入れる意見だと思う。
「高速な移動手段」という価値を持っていた馬車は自動車に取って代わられた。
このような既存の価値を代替するものに対しては「倒す」という表現が適切だと感じる。「洗濯機が洗濯板を倒した」とか「携帯電話がポケベルを倒した」とか。
新たな価値の創造
「ディズニーランドに行く」よりも「ディズニーランドをつくる」ほうが楽しい という西野の意見は一理ある。しかしそれは「自動車と馬車」のような既存の価値の代替ではなく、新たな価値の創造(または提案)だ。
「ディズニーランドに行く」ことと「ディズニーランドをつくる」ことの価値は違う。95点のものを受動的に楽しむ価値と、0点から50点への伸びを能動的に楽しむ価値は別物だ。
例えば95点の料理を楽しむのがレストランだとしたら、0点から50点への伸びを楽しむのは料理教室といえるだろう。
「レストランを倒す!」という目標を掲げていた人間が料理教室をつくったとして、周囲はその人が目標を達成したと認めるだろうか。私なら「いや、そういうことじゃないよ」と思う。
本来、料理教室をつくったのは素晴らしいことだ。レストランでは得られない価値を提供する場を新たにつくったのだから。しかし「レストランを倒す!」という間違った目標を公言したばかりに、本来得られるべき称賛まで失ってしまう。
正しく評価されるためにも、公言するのであれば明確な目標を提示するべきだ。
まとめ
ということで、キングコング・西野亮廣の「ディズニーを倒す」という目標について思うところを書いた。
まとめると以下の通り。
- 西野の「ディズニーを倒す」という目標は曖昧でイマイチ
- 「伸び率をデザインする」という方向性と「ディズニーを倒す」という表現はズレているように感じる
- 正しく評価されるためにはもっと明確な目標を提示したほうがいい
サッカー日本代表の西野監督のように「日本らしいサッカーをする」という曖昧な大目標を掲げたうえで「グループステージ突破」という具体的な目標を示すのもアリだ。
「ディズニーを倒す」という大きな目標はそのままでもいいから、ブレークダウンした明確な目標も語ったほうがいい。講演会なんかでは話しているのかもしれないが、国民全員から笑われてメチャクチャ悔しかった のなら、ファンではない人たちにこそ正しい目標を語るべきだ。
いつの日か本当にディズニーを倒して国民全員を納得させてほしい。
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ディズニーを倒したあとも『ゴッドタン』には出演してください。