M-1グランプリ2018感想〜霜降り明星とジャルジャル、審査員について
2018年のM-1グランプリもおもしろかった。
霜降り明星とジャルジャル、そして審査員についての感想を書きたい。大きなテーマがあるわけではない。
近代漫才の覇者、霜降り明星
M-1グランプリ2018の王者は霜降り明星だった。
ジャルジャルも和牛も最終決戦に残った3組はどのコンビもおもしろかったが、オール巨人が評していたように「近代漫才」とでも言うべきものを一番うまく完成させたのが霜降り明星だったのだと思う。
オール巨人「最近の漫才、近代漫才というか、何年か前からツッコミの言葉の多さ、ボキャブラリー(が重要になってきた)。粗品くんがそれを完全にやってる」
M-1グランプリ2018
近代漫才とはなにか。
その特徴は、
- ツッコミ主体
- 手数の多さ
にある。
ツッコミ主体の漫才
最近の漫才の主流はボケの発想力というよりはツッコミのワードで笑わせるスタイルだ。
ミキはお兄ちゃんのハイテンションなツッコミが武器だし、見取り図も盛山(左のロン毛)の気の利いたツッコミワードが笑いを生み出している。決勝には残らなかったが東京ホテイソンなんてまさにそのものだろう。
ツッコミが主体のスタイルについては三四郎の小宮がインタビューで言及していた。
小宮 その頃、サンドウィッチマンさんやアンガールズさん、おぎやはぎさんもそうですけどボケに対するツッコミ方に特徴が色々出てきていて、いいなあって思っていたんです。強いツッコミをしない感じ。今だとバイきんぐの小峠さんや、ハライチの澤部くんがそうですよね。
「つらいお笑いはもうしない」コイツ天才だコンビ・三四郎が“売れてる今”こそ思うこと | 文春オンライン
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4分間での手数の多さ
2つ目は手数の多さ。
これは厳密には近代漫才というよりもM-1という競技で勝つためのスタイル。4分間での笑いの量を最大化するスタイルといってもいい。2008年にM-1を制したNON STYLEあたりがその起源だろうか。
霜降り明星のネタをあえて穿った見方をすれば、和牛のように構成の妙があるわけでもないし、ジャルジャルのように新しいアイデアを見せつけたわけでもない。ショートネタをまとめただけ、みたいな印象すらあった。
千鳥がMCを務めたネット番組『M-1打ち上げ』の中でネタ作りの裏話を語っていたが、1本目の「豪華客船」は単独ライブで毎月やっていたのだという。以下を参照。該当部分から再生されるようにしている。
いくつものボケとツッコミを試し、ウケが良かったものを選りすぐって詰め込んで出来上がったのがあのネタなのだ。結果としてひとつひとつのボケは強力でもそれらの関連性は薄くなった。
それでも霜降り明星は王者にふさわしい
このように、霜降り明星のネタは「得体の知れないおもしろさがあるネタ」というよりは「M-1で勝つための戦略に基づいて作り上げたネタ」という感じだった。最年少優勝なのに若き才能が新たに現れたという感じがあまりしないのはそのせいかもしれない。
「M-1で優勝すべき芸人」が人それぞれであるがゆえに「〇〇が優勝すべきだった」という意見は毎回ある。今回もきっとあるだろう。
審査員の投票が4(霜降り明星)対3(和牛)と拮抗していたように、満場一致で決まるような内容ではなかった。
それでも霜降り明星は王者にふさわしい。
1本目と2本目の計8分間笑わせ続けたのは霜降り明星だけだったし、なによりも1本目のつかみのボラギノールは最高だった。もし和牛が優勝していたとしても「一番ウケてたのは霜降り明星だったのに」と言われていたはずだ。
ついに中川家・礼二を認めさせたジャルジャル
霜降り明星の優勝に異論はないものの、自分が一番おもしろかったのはジャルジャルの1本目「国名わけっこ」。
2017年の「ピンポンパンゲーム」と同じ系統ではあるが、またしても自分たちのスタイルを貫いたネタを作り上げたジャルジャルの二人は素晴らしい。
審査員のコメントも良かった。
オール巨人「何がおもろいかちょっと分かりませんがおもしろかったです」
松本人志「途中、屁こいてしまいましたもん」
M-1グランプリ2018
MCの今田耕司も納得していたが、松本人志の「屁こいてしまった」というのはジャルジャルのネタのおもしろさを的確に表していたと思う。オール巨人の素直なコメントもいい。
そして中川家・礼二。
礼二は常にジャルジャルに厳しかった。「展開がない」「一本調子」というようなことを言い続けてきた。
そんな礼二が、今回はこんなようなことを言った。
中川家・礼二「過去何年かM-1出てずっと形を変えなかったこの頑固さがすごい」
M-1グランプリ2018
認めたというのは言い過ぎかもしれないし、礼二の求める漫才像とは今も違うのだろうが、ラストイヤーにこのコメントが聞けたのは良かった。感動してしまった。
『M-1打ち上げ』で明かされた「国名わけっこ」のネタづくりの裏話もすごかった。
- 「国名わけっこ」はキングオブコント(10月)が終わってから作った
- 後藤がいつツッコむかは客席の受け具合を見てアドリブで決めてる
こちらも該当部分から再生されるようにしている。
2017年の感想でも書いたように、2本目にも強力なネタを用意することは難しかったようで最終決戦では一票も獲得できなかった。それでもジャルジャルのネタはM-1の歴史にも視聴者の記憶にも刻まれたことだろう。
ジャルジャルにはコントだけじゃなく漫才のネタも作り続けてほしい。
芸人よりも審査される審査員たち
毎年、出場芸人たちよりも視聴者から審査されるのが審査員たち。
今回は上沼恵美子と立川志らくの採点が物議を醸しているようだ。正直、上沼恵美子のミキ98点には自分も「え?そうなの?」と思った。同じように立川志らくのジャルジャル99点に違和感を覚えた人もいただろう。
とはいえ審査員が自分の判断で好きなように点数をつけるのはいいことだと思う。
「好き嫌いで採点するな」という意見ももっともだが、漫才を愛するオール巨人や中川家・礼二みたいな審査員だけでなく、自分の直感だけを信じている(ように見える)上沼恵美子や立川志らくみたいな審査員がいてもいい。多様な審査員がいるべきだ。
高評価と低評価が真っ二つに分かれるようなネタがあってもいいし、そういうネタこそが記憶に焼き付く。
そもそも、ナイツ・塙がインタビューで語っていたように、審査員によって基準が異なるのは昔からだ。
先ほどM-1がうまさを競う大会になりつつあるという話をしましたが、松本さんだけはずっとぶれてない。M-1の定義は、新ネタ発表会だと思ってるんですよ。新しいことをやらないと意味がないと。だから、他の審査員と1年ぐらい評価のズレがあるんです。
…
紳助さんは松本さんとは対照的なところがあって、昔からM-1は漫才のうまさを評価する大会だと思ってるところがあったんです。
関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】 – Page 3 – 集英社新書プラス
自分と意見が違うからといって審査員を否定するべきではない。基準がぶれているように見えてもその人なりの基準がきっとあるはずだ。プレイヤー(芸人)も観客も審査員もお互いに敬意を忘れてはいけないとは思う。その三者のどれが欠けてもM-1グランプリという大会は成立しない。
さいごに
ということで、今回のM-1グランプリも非常におもしろかった。
「決勝進出者の顔ぶれがあまり変わらないのを見ると出場制限はやっぱり結成10年のほうがいいな」とか、「かまいたちはもうちょっと評価されてもいいんじゃないか」とか、「立川志らくが言ったギャロップ林のハゲ方が面白くないというのはなんとなく理解できる」とか、思うところはいろいろあるが、いい大会だった。今田耕司のMCぶりは今回も冴え渡っていたし、笑神籤(えみくじ)の順番も文句なしだった。
来年も楽しみです。気が早いけど。